みなさんこんにちは。
フリーのwebクリエイターとして活動している、本好きエンジニアのけいです。
ブックログは年間100冊以上の本を読む僕が、面白かった本や皆さんに読んでほしいと思った本を紹介するブログです。
今回については、感情の”快”を求めると”不快”になるというテーマで「これも修行のうち。」という本の内容について紹介していきます。
仏教で使われる3種類の感情
感情は、一般的に、喜び、怒り、悲しみ、楽しさなど、さまざまに現れますが、仏教的には3種類だけに分類されます。
1.快
好き、楽しい、ハッピーというポジティブな反応
ニュートラル
快でも不快でもない状態
不快
嫌い・イヤだ・苦痛だというネガティブな反応
感情の理想の優先順位
このうち一般的に望まれているのは①快→②ニュートラル→③不快の順番で、心地よいとされる感情「快」が一番上で「不快」な感情が一番下に分類されていると思います。
ですが意外なことに仏教の考えではこの順序は正しくありません。
快→ニュートラル→不快の順番は人が思い描く「理想」で「現実」の反応は違っているからです。
僕たちの現実は「楽しいことを探して不満を生み出し、不快を遠ざけようとしつつ実際には怒ってばかり」という姿があります。
つまり、楽しいこと面白いことを常に求めると、普段の何気ない日常に対して不満がたまり不快になっていくということですね。
理想と現実がかみ合っていないと、どこまでも悩みや満たされなさは続きます。
仏教ではまず「現実を正しく理解」して、それを修正・改善する方法を考えていきます。
正しい現実とは
ここでいう正しい現実は「人は快を追いかけ、不快を遠ざける」
しかし実際には、快に追い立てられ、不快に振り回されています。
この状態は決して「幸せ」とは言えませんよね。
多くの人は快を「欲の満足」と考えています。
そして今の時代は「欲を刺激してくる情報」が氾濫していて、SNSを見ていると「こんなものがあります」「これもおすすめです」「こんな刺激的な情報があります」と頼んでもいないのに多くの情報が流れてきて、人の心はそのたびに快を求めて反応をしています。
また、「怒ってはいけない」とわかっていても、現実の相手の声や表情にイラっとしたり、ふと嫌な記憶を思い出して、心はざわざわした感情から抜け出すことができません。
常に快を求めて反応し続ける生き方しか知らずに、反応するなら快か不快かという2つの選択肢しか知らないため、すぐ感情で反応し続けてしまいます。
仏教的に見た正しい習慣
これを踏まえて、仏教的に正しい習慣というのは「ニュートラル」でいることです。
つまり、快にも不快にも反応しない状態で、世間の常識で言えば「退屈」「つまらない」と感じてしまう状態こそが心の基本となっています。
快か不快かという2つの反応というのは、心にとって、快から不快へ、不快から快へ、常に「感情の反復横跳び」をしているような状態で、実際にやってみると分かりますがすごく疲れます。
むだな反応で消耗したくなければ、快でも不快でもないニュートラルな状態に戻ることが基本です。
安らぎ、落ち着き、穏やかさ、思いやり、優しさ、大事な物事に集中する力、へこたれずに持続する心の能力はニュートラルな精神状態から始まっています。
そしてこのニュートラルな心に立つための方法として、本書では50項目のプチ修行が紹介されているので気になった方はぜひ読んでみてください。
まとめ
ここまで「感情の”快”を求めると”不快”になる」というテーマでお話をしてきました。
みなさんいかがだったでしょうか??
今回のお話では
感情は嬉しい、悲しい、楽しい、つらいなどたくさんあるが、仏教的には
・快
・ニュートラル
・不快
の3種類だけに分類される。
多くの人は快を求めて不快を遠ざけようとするが「快」か「不快」かという2つの反応というのは、心にとって、快から不快へ、不快から快へ、常に「感情の反復横跳び」をしているような状態ですぐに疲弊する。
快でも不快でもないニュートラルな状態を心がけることで、むだな反応をなくし、大事な物事に集中する力、へこたれずに持続する心の能力、安らぎ、落ち着き、穏やかさ、思いやり、優しさという感情につながる。
というお話をしてきました。
感想
快を求めていると、快ではない状態のときに不快を感じてしまい、遠ざけようと思っている感情が結果的に一番近くにきてしまうというのはすごくおもしろい考え方でした。
世間一般では「つまらない」「退屈」と言われる何気ない日常を大切に過ごしていきたいですね。